ロシア革命の雰囲気が残るMetropol Moscow Hotel(メトロポールモスクワ)

ホテルガイド
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モスクワではヒルトンが定宿ではありますが中心部を散策するのにはちょっと不便。。。ということで、中心部にあるホテルを選択しました。

立地

立地はボリジョイ劇場の目の前、赤の広場、クレムリンが徒歩圏という便利さです。加えて、地下鉄駅も複数が徒歩圏、一番近いのは徒歩1分です。

メトロポール

そのメトロポールホテルは、1899〜1905年にアール・ヌーヴォー様式で作られたクラシックホテルです。そして、ロシア革命以前に作られた現存するホテルで最大ということです。建物は6階建の低層ホテルですが、その割に客室数は390室と72のスイートとそこそこの規模です。とすると、建物は変形した田の字状で、大通り&広場に面した部屋は外側の2辺しかないので眺めのある部屋は限られます。その点はあまり期待できない部分になります。

アートのホテル

創業者は、ロシアの初めてのプライベートオペラのオーナーであるSavva Mamontov という人物で、アートのパトロンでもありました。最初はホテル機能を持つ劇場として検討されたということです。他の出資者の意向などを踏まえ、最終的には一流レストランを持つホテルという今の標準形に落ち着いたということですが、アートへのこだわりは外観にも見て取れます。

外観

非常に個性的な外観です。コーナーにはゴシック様式のタワー、ポイントポイントにモザイクパネルや彫刻などのアートが埋め込まれています。そして、独特の雰囲気があります。

歴史

オープン当時

オープン当時は、電灯、温水、電話といった設備を実装した最先端のホテルだったということです。このエレベーターは後付けでしょうかね。とはいえ、この装飾などアートの文化が残っています。

1914年 第一次世界大戦

1フロアは軍の病院として使われ、ウエイターは、請求書と一緒に軍の資金援助を集めるカップを携えて業務にあたったということです。このあまり明るくない廊下を当時行き交っていたのでしょうか。

また、当時アルコール飲料の取引も制限されましたが、ワイン業者のコンソーシアムに所有されていた在庫から、ホテルのレストランでは、シャンパンやコニャックなども提供できていたということです。

1917年 ロシア革命

赤の広場を目指す部隊の進行を食い止める最後の砦になったようです。この時は、ホテルの窓も割られ、そのそばには銃弾が散乱していたということです。

現在のこの窓ガラスはひび割れではなく、ステンドグラスです。

1918〜20年代 ソビエト連邦発足

1918年には新しいロシア政府が、政府をモスクワに戻し、ソビエト議会(VTsIK)、外務省、通産省といったいくつかの政府機能などがメトロポールにおかれました。そして、The Winter Gardern(どこだろう・・・)では、度々レーニンの会見が行われたということです。このロビーも何かに使われたのでしょうか・・・

部屋

ジュニアスイート

もともとデラックスルームを予約していましたがアップグレードいただきました。とはいうものの、レイアウト上しょうがないですが眺めは限定的でした。

また、新政府がモスクワに移ってきてからしばらくは、政府機能と共に、一部のスイート、客室は上層部、家族などの居住としても使われていたということです。ここも誰かに使われていたのでしょうか。

まとめ

今回のモスクワ滞在の拠点はSPから移転してきた新政府さながら、モスクワの中心地に近いメトロポールとしました。ボリジョイ劇場、赤の広場、クレムリン、地下鉄もすぐ非常に便利な立地です。

また、メトロポールは、アートのホテルとして個性的な外観が特徴的です。その立地から、ロシアの歴史的なイベントに巻き込まれた?稀有なホテルでもあります。一時は砦として物理的な破壊の対象にもなったものの、当時の形で修復され、今もなお当時の姿が残されている点は貴重です。

滞在としては、ジュニアスイートにアップグレードいただきましたが、なかなか古風な感じでした。これはまあメトロポールの良い点と捉えましょう。ここに滞在するのは、部屋の品質、サービスというよりは、こうした歴史に触れる滞在いかがでしょうか?

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