初日最後の観光スポットは清水寺です。数多くの国宝、重要文化財を有し、世界遺産の構成要素にもエントリーされています。中でも清水の舞台は独特であり京都のランドマークとして古くから親しまれ、数多くの書物にも登場しています。
宗教的なルーツとしては、奈良仏教の法相宗に属し興福寺の末社でしたが、1965年に「北法相宗」の本山として独立したということです。独立からもう55年経っていますが仏教全体の中ではかなり新しい宗派ということでその経緯も独特です。
立地
東山の斜面のかなり上の方にあります。もともと音羽山の滝(音羽の滝=清水)にある草庵が清水寺の起源になっていることに由来します。
仁王門(&西門、三重塔)
賑わいのある清水坂を登って仁王門の手前までやってきました。さすが清水寺、そして午後の一番人手が多い時間帯ということでそこそこ観光客で賑わっていました。
左側の門が仁王門、右側は三重塔の手前に西門が重なっています、いずれも重要文化財です。仁王門は2003年に解体修理されたということで綺麗です。
本堂
入場料を払い本堂に。本堂は国宝です。はやる気持ちを抑えつつ、、、本堂に向かう通路の照明がおしゃれでした。
本尊は千手観音菩薩ということですがよく見えません。そして、清水寺本堂として有名なのはこの御本尊よりも、、、
本尊に芸術を奉納するための「舞台」です。舞台は張り替えが完了したばかりで銅製の保護部材なども酸化しておらずピカピカです。
この舞台は観音様に芸能を奉納する場所ということで、神社などでは能の奉納などは神事としてよくありますがお寺で???というのがちょっと変わっている気がします。能の他、雅楽や歌舞伎などを執り行うということでやっぱりなんか神道寄りな気も。そう言えば仁王門や三重塔なども朱塗で神社っぽい雰囲気もありますね・・・
奥の院からの本堂
舞台は舞台の上にいるより奥の院から見た方がよく分かります。奥の院(重要文化財)からの本堂・舞台越しの京都市内の眺めです。天気が非常に良く京都タワーまでよく見えました。
舞台の床板、手摺が綺麗になっているのがよく分かります。屋根も吹き替えが完了したばかりです。10月の山陽の旅は工事中ばかりでしたが、清水寺はグッドタイミングでした。
子安塔付近からの眺め
三重塔と本堂の両方が望めるということで行ってみましたがちょっと遠いですね。
音羽の滝
本堂から下ったところには音羽の滝があります。ここが清水寺の開創の起源であり、寺名の由来となった滝です。「北の清泉に行け」というお告げを受けた奈良の僧「賢心」がこの滝にたどりつきほとりで草庵をむすび修行をしていた老仙人が実は観音の化身だと悟りここに留まりました。2年後に狩に来た坂上田村麻呂がここで賢心と出会い、教えに感銘を受け、寺院を建立したのが清水寺の起源ということです。
滝の袂には休憩所があります。雰囲気いいですね。
本堂下の通り
音羽の滝付近から入口へ戻る通路から舞台の基礎がよく見えます。高さは13mで、懸造り(かけづくり)と呼ばれる日本古来の伝統工法で格子状に組まれた木材同士が支え合い耐震性の強い構造ということです。
「清水の舞台から飛び降りる」・・・実際に把握している飛び降り件数は235件、生存率は85%ということで意外と高い印象です。おそらく以前は落下点が自然の斜面のままで、落下までに枝葉で減速、落下点の落葉などがクッションとなり斜面に沿って徐々に減速したのでしょう。今現在は舞台の下はコンクリートの通路となっており、ダイレクトに落ちた場合の生存率はそれほど高くないでしょう、たとえ生き残っても重大な後遺症を抱えるのは必至ですのでやめましょう。
入り口付近まで戻ってきました。メンテナンスされた池、植栽越しの三重塔が綺麗でした。
まとめ
やはり清水寺は独特です。そもそも所属していた奈良仏教系寺院は、平安仏教や鎌倉仏教と違い、庶民の救済というよりは学問的な側面の方が強かったはずですが、この清水寺は古くから庶民に開かれ親しまれてきたとのことです。
清水寺の門前がこれだけの商業地として賑わっているというのもその辺のスタンスの影響なのかと思います。
また、仏教なのに芸能を奉納するということ、その独特な舞台を持つお寺というのも変わっていますし、現在社会に必要とされる仏教の模索ということで1965年に由緒ある法相宗から「北法相宗」として独立しています。そうした伝統にとどまらずに変化を受容する部分も世界遺産に登録されるほど評価の高い寺院では他にない特徴かと思います。年末その年の漢字を発表するといった活動も有名ですが、そうした活動も現代社会への関わりを模索した結果なのかもしれません。
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