首里城は有名ですが、玉陵(たまうどぅん)はそこまで知名度はないかもしれません。たまうどぅんの正確な発音もよく分かりません。滞在しているダブルツリーbyヒルトン首里から首里城へは玉陵も通り道、せっかくですので合わせて見学することにします。
11月にもなり関東では長袖が主流になりましたがこの時期の那覇の昼間は夏ですね。この周辺は勾配が多く上りがあるとすぐ暑くなります。
玉陵(たまうどぅん)
朝の9時オープンと同時に一番乗りです。玉陵は隣の首里城を本拠地としていた王族の陵墓ということです。1500年当時からということで、本土では室町時代の後半、仏教系のお墓が中心ですので文化の違いがよくわかります。
お墓ですが何重の石塀に囲まれた作りでちょっとしたお城のようでもあります。外側の塀の目地はピッタリで見どころかと思いきや、これらは全て再建ということです。
中庭
それでは中に。一番乗りのはずですが時間外にゲストがいたようです。アフリカのサファリで足跡からの追跡を経験しましたが、ターゲットにはいきつきませんでした。
お墓は破風墓と呼ばれる破風屋根を持つ建物で、中室、東室、西室の3つの墓室から構成されます。中室は葬儀の後当時の琉球の葬制に基づき遺骸が骨になるまで放置し、数年後に骨を取り出して洗骨する場所ということです。洗骨した後に遺骨を骨壺に収め、王及びその妃の骨は東室に、他の王族は西室に納められたということです。
1500年頃〜1930年頃までトータルで70程度の被葬者がいるということです。墓室自体は見学できません。別に展示施設があり、そちらで模型と写真で内部の様子がわかります。
奉円館(資料展示室)
展示施設があるのは、こちらの管理施設です。入場料の支払い、冊子、トイレなどになっていますが、地下一階が展示施設になっています。
入れなかった墓室の中の配置です。3室あるうちの1つ東室の配置図です。王とその妃の骨壷?が配置された部屋で、骨壷の形、位置も正確に再現されています。
その骨壷はかなり立派でバリエーション豊かです。当時の権力者の力がよくわかります。
いくつかは実物も展示されていました。中でもこちらが一番立派な感じでした。陶器製で凝った造形でした。
地味ですがなかなか見どころがありました。
首里城
そしてお目当ての首里城へ向かいます。玉陵とはほぼ隣接しているので合わせて訪れるのがいいかと思います。モノレールの首里駅からダイレクトに向かうと、有名な守礼門よりも前に正殿へのルート(歓会門〜)があるので本来の入城ルートとは異なる感じですかね。玉陵 → 首里城ルートだと守礼門を通る正規のルートになります。
守礼門(しゅれいもん)
首里城正殿は、2019年に消失してしまったので派手目な見どころとして残っているのはこの守礼門くらいです。二千円札に描かれているということですが、最近二千円札見ないですね〜。
軒下などはよく見るとかなり凝っています。とはいえ、東照宮などに比べるとそれでも地味です。
園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)
この漢字名からそのひゃんうたきとは読めませんね。沖縄は難読名称のオンパレードです。
そしてこの門は先ほどの守礼門などに比べても小規模で地味です。どちらかというと玉陵に近い感じですが、世界遺産の構成要素としてはこちらが登録となっています。(守礼門は対象ではありません。)
御嶽(うたき)は琉球神道における祭祀などを行う施設で、国王が各国を回る際に必ずここ(この先の御嶽)で拝礼をしたということです。そうした文化から世界遺産の構成要素として登録されています。この先は、、、入れません。
うたきでは斎場御嶽(せーふぁーうたき)が入れます、そして世界遺産構成要素として登録されています。うたきに興味のある方は、そちらを訪れてみるのがおすすめです。私たちも、ワーケーションの最後に訪れる予定です。
歓会門(かんかいもん)
だんだんお城っぽくなってきました。この門より先が正式な城内になります。この門は15世紀後半には作られたということです。ちなみに首里城自体の創建は定かではなく、他のグスクと同様14世紀半ばと言われています。
瑞泉門(ずいせんもん)
さらにその先には城郭第二門である瑞泉門があります。この門の手前に泉があり「立派なめでたい泉」ということから瑞泉門という名前が付けられています。朱塗できれいですが、先ほどの歓会門も元々はこの位の色だったのかな・・・
奉神門(ほうしんもん)
門をくぐり階段を登ると奉神門にたどり着きます。首里城正殿のある「御庭(うなー)」へ入る最後の門で神をうやまう門ということで奉神門という名前ということです。こちらは門としての機能とともに、向かって左手が薬類・茶・煙草等の出納を取り扱う「納殿(なでん)」、右手は、儀式を行う「君誇(きみほこり)」という施設ということです。
2019年の10月の火災では、納殿の屋根は燃えましたがそれ以外はかろうじて消失を免れました。
そして、ここからは有料エリアになります。
正殿
入ったら正面に正殿が見えるはずでしたが、2019年の火事で全焼しており、再建準備中で大きな仮設の建物が作られていました(↑の写真でも背後に写っています)。この建物は中が見えるようになっており、今後作業が見学できるよう工夫されています。
再建は4年後を目指すということで、過去何度も消失/再建を繰り返しているので、だいぶ慣れてきた感じでしょうか・・・次は燃えないように対策をしてもらいたいところです。
再建中だからこそ見える景色もありました。御庭の隅から那覇市街方面、その先の海まで見渡せました。
東のアザナ
再建中エリアの先は、東のアザナという見晴台がありました。お城の一番高いところですので、城(グスク)全体を見渡せます。大きなプレハブの建物、テントのあたりが消失、再建エリアです。9棟の建物が消失したということで本当に4年で出来るのか、、、完成した時にはまた見にきたいところです。
アザナから北側方面です。アザナの先頭は人混みがすごく、入城制限もありパスしました。那覇方面は何ヶ所か眺められる場所があるのでそちらで代替するのもいいかと思います。
南方面は、このあと行こうとしている雨乞嶽展望台方面(中央の小高い丘)が見えました。標高は多少下がりますが南方の眺めがよさそうです。
まとめ
沖縄に到着した翌日はさっそく那覇の世界遺産を2箇所訪れました。
玉陵は、首里城に比べると地味であまり人気がなく人も少ないですが、首里城の王族一家の陵墓として代々維持されてきた施設です。独特な琉球の葬制に関わり興味深いです。
首里城は、正殿が消失しているので独特さのイメージが伝わらない部分があり非常に残念です。本州では室町〜安土桃山時代ということで城郭の作りが違うのは分かりますがやっぱり実物を見てみたいところです。前回の再建は相当時間がかかっていたようですが、今回の再建は2028年完成を目指すということで、完成後に再び訪れたいところです。正殿はありませんが、今後は修復過程、眺めなどそれなりに楽しめるかと思います。
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